史料上の国家の語-日本中世から続き。
国家の語は、
江戸時代、一国以上を領有する大名。国持(くにもち)。〔日本国語大辞典〕
を意味し、「支配者と支配機構(家臣団)」に加え、「さらに支配対象(領国・領民)を包摂するようになった」(国史大辞典)といいます。
史料上の国家の語-日本近代に続きます(予定)。
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史料上の国家の語-日本中世から続き。
国家の語は、
江戸時代、一国以上を領有する大名。国持(くにもち)。〔日本国語大辞典〕
を意味し、「支配者と支配機構(家臣団)」に加え、「さらに支配対象(領国・領民)を包摂するようになった」(国史大辞典)といいます。
史料上の国家の語-日本近代に続きます(予定)。
史料上の国家の語-日本古代からの続きです。
鎌倉時代の国家の語は、古代に引き続き天皇を中心とした朝廷を指し、
日蓮の説く「国家」のありようにしても、常に天皇・朝廷の存在を念頭において観念され、その周辺に凝縮していく傾向をもっている。〔新田一郎『中世に国家はあったか』2004年p4〕
日蓮は「守護国家論」を著作しています。
戦国時代には、天皇・朝廷の意味から離れ、「戦国大名の領国」(日本国語大辞典)を意味し、その「支配者と支配機構(家臣団)」(国史大辞典)を指すようになります。朝倉孝景条々など。
史料上の国家の語-日本近世に続きます。
素朴な疑問として十七条憲法の「国家自治」は天皇や朝廷を指してないような気がするんですが、どうなんでしょう。
史料上の国家の語-日本中世に続く。
ウェブで手軽に引けるCompact Oxford English Dictionary で、stateの項を引いてみましょう。第一項は日本語で「状態」の意味、第二項が「国家」に相当します。
2 a nation or territory considered as an organized political community under one government.
訳すと「ひとつの政府のもとで組織された政治共同体として考えられるネイションあるいは領域」です。naitonは国民か民族と訳すことが多いけれど、色々微妙な問題があるので、ここではカタカナでネイションとしています。被治者を含む政治共同体とする点でヴェーバーやラスキらの定義と似てます。
「ひとつの政府のもとで組織された」のあたりが絶妙な限定条件ですね。地方公共団体は、中央政府と地方政府という二つの政府のもとで組織されているから国家でない、といえるわけです。これは上手い。
国家イコール政府とする見解に相当するのは第5項です。
5 the civil government of a country.
訳すと「一国の文民政府」。civilはmilitaryに対する語で「軍事政府ではない」という意味だと思われます。文民政府と訳しましたが、よく分かりませんので、英語に達者の方に教示いただけたら幸いです。
日本国語大辞典での国家の定義と同様で、どっちのも意味もあるわけですね。
このほか、連邦構成州の意味だとか、the States の形で米国の意味だとか、なども載っていますが省略。
他の英語辞典については、dictionary.com というサイトで引けます。stateの項については次のリンク先で表示されます。http://dictionary.reference.com/browse/state
日本国語大辞典(初版)の国家の項です。
(1)一定の地域に住む人々を支配、統治する組織。
これは国家イコール政府とする見解に近いです。
(2)特に、近代、一定の領土を有し、そこに居住している人々で構成され、一つの統治組織をもつ団体。
これは芦部のよる国家の定義に近いです。
(3)特に天皇を指す。… (4)戦国大名の領国。… (5)国と家。… (6)江戸時代、一国以上を領有する大名。
と続きます。今日は時間が無いので、以上で失礼します。
言葉の定義に関してはまず辞書を引用するのが出来の悪い著作物の定番ですから、ここでも国家の定義について辞書を引いてみます。
まずは手軽にウェブで引ける国語辞典。gooが提供する国語辞典における国家の項は、三省堂『大辞林』第二版を出典としているようですが、第一項で漢籍にみえる国家の語について、第二項としてstateの訳語しての国家について説明しています。これによるとstateの訳語としての国家は、
〔state〕一定の領域に定住する人々が作る政治的共同体。…
と定義されています。
最高とか独占とか始源とかの限定条件が付いていない点は芦部による国家の定義と同様ですので、「村落も国家かよ」と突っ込みたくなりますが、それはさておき。
stateの訳語としての国家が一般の民間人を含む政治共同体であると定義されていることは間違いないようです。「国家には一般の民間人は含まれない」という主張は読み取れません。
ここで引いた国語辞典はしょせん一冊本ですので、もっと権威のある日本国語大辞典なども引いてみましょう。日本国語大辞典での国家の定義の項を作成する予定です。
また英語辞典をstateを引くほうが手っ取り早いかもしれませんね。これは英語辞典でのstateの定義にて。
ラスキによる国家の定義では、国家と政府を区別することが政治学の基本定理であるとされていましたが、これとは全く逆の見解もあったりします。
例えば、飯尾潤『日本の統治構造』(中公新書、2007年)。これはサントリー学芸賞という賞を受賞するなどなかなか評判のよろしい本らしいですが、そのp72にこんなことが書いてあります。
西洋流に国家をステート(state)の訳語であると考えると、その国家には一般の民間人は含まれない。国家は支配機構である政府を意味するからである。西洋の政治学では、国家(state)と社会(society)の二分法をもとに議論を展開することが多い。国家に社会は含まれないのである。
まさにラスキやヴェーバーによる国家の定義と全く逆で、国家イコール政府としています。なんでこんな見解が存在しているのか、その謎を探っているところです。
マルクス主義政治学では国家を支配機構と見做すので、マルクス主義政治学が国家イコール政府説の源泉の一つだと考えられます。
もうひとつは、20世紀の終わり頃、アメリカ政治学界で国家論の復興というムーブメントがあったのですが、そこでいう国家とは国家イコール政府、国家イコール行政府、などと定義されていた、と日本で紹介されることがあります。ここらへんは伝聞のみで原典を確認していないのではっきりしません。いつか確認したら記事にしたいと思います。
現代日本の憲法学で国家はどのように定義されているでしょうか?
司法試験受験生の間で聖典のように扱われている芦部信喜『憲法』は、冒頭で国家の定義を示しています(1997年新版p3)。
一定の領土に限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力をもつ統治権のもとに法的に組織されるようになった社会を国家と呼ぶ。
国家を地域社会の一種とする点、強制力を持つとする点ではラスキなどと一緒ですが、芦部による定義の特徴点は、他の論者が付けている最高や独占や始源といった限定条件が見当たらないことです。芦部による定義では、地方公共団体なども国家ということになってしまいそうで心配です。
芦部本人による定義とは別に、こんな註釈も記載されていかす。
なお、憲法学では、例えば人権を「国家からの自由」という場合のように、国家権力ないし権力の組織体を国家と呼ぶことも多い。
ラスキは国家と政府の区別を政治学の基本定理であるとした(ラスキによる国家の定義参照)けれど、憲法学では国家と政府を区別しないこともあるわけです。
ちなみに、政治学でもラスキの基本定理に反して、国家を政府と同義に扱われることもあります。マルクス主義政治学と、その影響を受けた政治学者に多いようです。これについては別稿にて。
ヴェーバー『職業としての政治』における国家の定義は次の通りです。
国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域という点が特徴なのだか――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である〔p9〕
この国家の定義は世間でよく引用されるのですが、正当、独占、共同体、といった誤解を生じやすい概念が用いられているので注意が必要です。
正当というのは、
正当なものとみなされている、という意味〔p10〕
にすぎません。支配に服従する人が正しいと思えば、第三者からみて怪しくても、それは正当と呼ばれます。ヴェーバーは、支配の正当性の根拠として、お馴染みの伝統・カリスマ・合法の3類型を挙げています。
例えば現代日本の領域内には在日米軍が存在しており、日本国が必ずしも暴力を独占しているわけではないので、ヴェーバーの定義によると日本国は国家ではないことになってしまうかもしれません。
暴力の独占について、ヴェーバーは次のように説明しています。
国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲内でしか、物理的暴力行使の権利が認められないということ、つまり国家が暴力行使への「権利」の唯一の源泉とみなされているということ、これは確かに現代に特有な現象である。〔p9-10〕
在日米軍の存在は日本国が許容しているから、日本国は無事に国家ということになるわけです。ただ、他者の存在を許容することは「独占」とは呼ばないですよね。「独占」というよりも、イェリネクのいうところの「始源的」がぴったりくると思います。イェリネクによる国家の定義はまた別稿で書きます。
『職業としての政治』は共同体について定義していません。『社会学の根本概念』では共同体ではなく団体の語を用いています。詳しくは(2)で書く予定ですが、この団体は被治者を含みます。
ヴェーバーの定義する国家は政治家や官僚の共同体であると思い込んでいる人もいるようですが、それは誤りです。ウェーバーにとっての国家は、あくまで一般民間人を含む国民共同体です。この点はラスキによる国家の定義と同様です。
Laski, H.J., The State in Theory and Practice, 1935
訳書の書誌情報 http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000886391/jpn
国家概念を黙殺する多元主義国家論で有名なラスキが、その多元主義を脱した後に書いた著作です。
これを書いた時期のラスキはマルクス主義に傾倒していたといわれていますが、国家を権力組織とみる所謂マルクス主義国家論とは異なります。ラスキによる国家の定義にも書いたように、ラスキにとって国家とは、支配機構を有する国民社会全体を指しているのですから。
20世紀前半の英米政治学からみた国家論のサーベイとして優れていると思われます。日本でも人気だったラスキの著書なのに、何故もっと注目されないのか不思議です。
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