• 303 月

    史料上の国家の語-日本中世から続き。

    国家の語は、

    江戸時代、一国以上を領有する大名。国持(くにもち)。〔日本国語大辞典〕

    を意味し、「支配者と支配機構(家臣団)」に加え、「さらに支配対象(領国・領民)を包摂するようになった」(国史大辞典)といいます。

    史料上の国家の語-日本近代に続きます(予定)。

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  • 283 月

    史料上の国家の語-日本古代からの続きです。

    鎌倉時代の国家の語は、古代に引き続き天皇を中心とした朝廷を指し、

    日蓮の説く「国家」のありようにしても、常に天皇・朝廷の存在を念頭において観念され、その周辺に凝縮していく傾向をもっている。〔新田一郎『中世に国家はあったか』2004年p4〕

    日蓮は「守護国家論」を著作しています。

    戦国時代には、天皇・朝廷の意味から離れ、「戦国大名の領国」(日本国語大辞典)を意味し、その「支配者と支配機構(家臣団)」(国史大辞典)を指すようになります。朝倉孝景条々など。

    史料上の国家の語-日本近世に続きます。

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  • 233 月

    日本国語大辞典(初版)の国家の項です。

    (1)一定の地域に住む人々を支配、統治する組織。

    これは国家イコール政府とする見解に近いです。

    (2)特に、近代、一定の領土を有し、そこに居住している人々で構成され、一つの統治組織をもつ団体。

    これは芦部のよる国家の定義に近いです。

    (3)特に天皇を指す。… (4)戦国大名の領国。… (5)国と家。… (6)江戸時代、一国以上を領有する大名。

    と続きます。今日は時間が無いので、以上で失礼します。

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  • 213 月

    ラスキによる国家の定義では、国家と政府を区別することが政治学の基本定理であるとされていましたが、これとは全く逆の見解もあったりします。

    例えば、飯尾潤『日本の統治構造』(中公新書、2007年)。これはサントリー学芸賞という賞を受賞するなどなかなか評判のよろしい本らしいですが、そのp72にこんなことが書いてあります。

    西洋流に国家をステート(state)の訳語であると考えると、その国家には一般の民間人は含まれない。国家は支配機構である政府を意味するからである。西洋の政治学では、国家(state)と社会(society)の二分法をもとに議論を展開することが多い。国家に社会は含まれないのである。

    まさにラスキやヴェーバーによる国家の定義と全く逆で、国家イコール政府としています。なんでこんな見解が存在しているのか、その謎を探っているところです。

    マルクス主義政治学では国家を支配機構と見做すので、マルクス主義政治学が国家イコール政府説の源泉の一つだと考えられます。

    もうひとつは、20世紀の終わり頃、アメリカ政治学界で国家論の復興というムーブメントがあったのですが、そこでいう国家とは国家イコール政府、国家イコール行政府、などと定義されていた、と日本で紹介されることがあります。ここらへんは伝聞のみで原典を確認していないのではっきりしません。いつか確認したら記事にしたいと思います。

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  • 163 月

    ヴェーバーの国家の定義は、(1)で書いた『職業としての政治』のものが有名ですが、同書は講演を元にしたものなので、体系的な記述ではありません。『職業としての政治』のものほどには知られていないけれど、『社会学の根本概念』では、より体系的に国家は定義されています。以下ヴェーバー『社会学の根本概念』から引用します。

    団体

    社会的「関係」とは、意味内容が相互に相手を目指し、それによって方向を与えられた多数者の行動のことを指す。〔p42〕

    行為が或る明らかな原則に(平均的および近似的に)従っている場合に限って、社会的関係の意味内容を「秩序」と名づけようと思う。〔p50-51〕

    規則によって対外的に制限され閉鎖された社会的関係は、その秩序の維持が、その実施を特に目的とする特定の人間の行動によって保証されている場合、これを「団体」と呼ぶ。右の特定の人間は、指揮者、および、一般に代表権をも有する行政スタッフである。〔p78〕

    団体は社会的関係であり、社会的関係は多数者の行動ですから、団体は多数者の行動ということになります。団体とは、人々の集合ではなく、行動の集合なのです。

    ヴェーバーによる団体の定義の特徴点は、行政スタッフの行動をキーにしている点です。通常の団体の定義では「特定の目的のための行動」とされることが多いのですが、ヴェーバーの団体の定義には目的の要素はありません。

    強制団体

    「強制団体」とは、その実定的秩序が、特定の活動範囲内において、或る基準に合致する一切の行為に比較的効果的に強制されるような団体を指す。〔p85〕

    支配団体

    社会的関係は、当事者の側から見て、「正当なる秩序」の存在という観念によって支配されていることがある。実際に支配される可能性を、その秩序の効力と呼ぶ。〔p50〕

    「支配」とは、或る内容の命令を下した場合、特定の人々の服従が得られる可能性を指す。〔p86〕

    或る団体のメンバー自身が、効力ある秩序によって支配関係に服従している場合、この団体は「支配団体」と呼ばれる。〔p87〕

    支配団体という語感からすると、支配者をメンバーとする団体をイメージしてしまうかもしれませんが、ヴェーバーのいう支配団体は、メンバーは服従する者です。

    政治団体

    或る地域内における支配団体の存立とその秩序の効力とが、行政スタッフによる物理的強制の使用および威嚇によって永続的に保証されている限りにおいて、この支配団体は「政治団体」と呼ばれる。〔p88〕

    『職業としての政治』で「暴力」だったものが、ここでは「物理的強制」に変わってます。

    国家

    政治的強制団体の経営は、その行政スタッフが秩序の実施のための正当な物理的強制の独占を有効に要求する限りにおいて、「国家」と呼ばれる。〔p88〕

    政治団体に正当と独占の要素を加えたものが国家です。正当と独占の概念についてはヴェーバーによる国家の定義(1)を参照してください。

    国家は支配団体の一種であり、支配団体のところで書いたとおり、支配団体としての国家のメンバーは支配者ではなく、服従する者です。

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  • 153 月

    ヴェーバー『職業としての政治』における国家の定義は次の通りです。

    国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域という点が特徴なのだか――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である〔p9〕

    この国家の定義は世間でよく引用されるのですが、正当、独占、共同体、といった誤解を生じやすい概念が用いられているので注意が必要です。

    正当

    正当というのは、

    正当なものとみなされている、という意味〔p10〕

    にすぎません。支配に服従する人が正しいと思えば、第三者からみて怪しくても、それは正当と呼ばれます。ヴェーバーは、支配の正当性の根拠として、お馴染みの伝統・カリスマ・合法の3類型を挙げています。

    暴力の独占

    例えば現代日本の領域内には在日米軍が存在しており、日本国が必ずしも暴力を独占しているわけではないので、ヴェーバーの定義によると日本国は国家ではないことになってしまうかもしれません。

    暴力の独占について、ヴェーバーは次のように説明しています。

    国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲内でしか、物理的暴力行使の権利が認められないということ、つまり国家が暴力行使への「権利」の唯一の源泉とみなされているということ、これは確かに現代に特有な現象である。〔p9-10〕

    在日米軍の存在は日本国が許容しているから、日本国は無事に国家ということになるわけです。ただ、他者の存在を許容することは「独占」とは呼ばないですよね。「独占」というよりも、イェリネクのいうところの「始源的」がぴったりくると思います。イェリネクによる国家の定義はまた別稿で書きます。

    共同体

    『職業としての政治』は共同体について定義していません。『社会学の根本概念』では共同体ではなく団体の語を用いています。詳しくは(2)で書く予定ですが、この団体は被治者を含みます。

    ヴェーバーの定義する国家は政治家や官僚の共同体であると思い込んでいる人もいるようですが、それは誤りです。ウェーバーにとっての国家は、あくまで一般民間人を含む国民共同体です。この点はラスキによる国家の定義と同様です。

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  • 143 月

    Laski, H.J., The State in Theory and Practice, 1935

    訳書の書誌情報 http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000886391/jpn

    国家概念を黙殺する多元主義国家論で有名なラスキが、その多元主義を脱した後に書いた著作です。

    これを書いた時期のラスキはマルクス主義に傾倒していたといわれていますが、国家を権力組織とみる所謂マルクス主義国家論とは異なります。ラスキによる国家の定義にも書いたように、ラスキにとって国家とは、支配機構を有する国民社会全体を指しているのですから。

    20世紀前半の英米政治学からみた国家論のサーベイとして優れていると思われます。日本でも人気だったラスキの著書なのに、何故もっと注目されないのか不思議です。

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