国家以上に素晴らしい頌辞を呈せられた制度は少ないのであるから、これらの頌辞の理由とするところを理解することが大切である。これらの頌辞で、現実の国家を讃えたものは稀である。
― ラスキ『国家』p1
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国家以上に素晴らしい頌辞を呈せられた制度は少ないのであるから、これらの頌辞の理由とするところを理解することが大切である。これらの頌辞で、現実の国家を讃えたものは稀である。
― ラスキ『国家』p1
ウェブで手軽に引けるCompact Oxford English Dictionary で、stateの項を引いてみましょう。第一項は日本語で「状態」の意味、第二項が「国家」に相当します。
2 a nation or territory considered as an organized political community under one government.
訳すと「ひとつの政府のもとで組織された政治共同体として考えられるネイションあるいは領域」です。naitonは国民か民族と訳すことが多いけれど、色々微妙な問題があるので、ここではカタカナでネイションとしています。被治者を含む政治共同体とする点でヴェーバーやラスキらの定義と似てます。
「ひとつの政府のもとで組織された」のあたりが絶妙な限定条件ですね。地方公共団体は、中央政府と地方政府という二つの政府のもとで組織されているから国家でない、といえるわけです。これは上手い。
国家イコール政府とする見解に相当するのは第5項です。
5 the civil government of a country.
訳すと「一国の文民政府」。civilはmilitaryに対する語で「軍事政府ではない」という意味だと思われます。文民政府と訳しましたが、よく分かりませんので、英語に達者の方に教示いただけたら幸いです。
日本国語大辞典での国家の定義と同様で、どっちのも意味もあるわけですね。
このほか、連邦構成州の意味だとか、the States の形で米国の意味だとか、なども載っていますが省略。
他の英語辞典については、dictionary.com というサイトで引けます。stateの項については次のリンク先で表示されます。http://dictionary.reference.com/browse/state
ラスキによる国家の定義では、国家と政府を区別することが政治学の基本定理であるとされていましたが、これとは全く逆の見解もあったりします。
例えば、飯尾潤『日本の統治構造』(中公新書、2007年)。これはサントリー学芸賞という賞を受賞するなどなかなか評判のよろしい本らしいですが、そのp72にこんなことが書いてあります。
西洋流に国家をステート(state)の訳語であると考えると、その国家には一般の民間人は含まれない。国家は支配機構である政府を意味するからである。西洋の政治学では、国家(state)と社会(society)の二分法をもとに議論を展開することが多い。国家に社会は含まれないのである。
まさにラスキやヴェーバーによる国家の定義と全く逆で、国家イコール政府としています。なんでこんな見解が存在しているのか、その謎を探っているところです。
マルクス主義政治学では国家を支配機構と見做すので、マルクス主義政治学が国家イコール政府説の源泉の一つだと考えられます。
もうひとつは、20世紀の終わり頃、アメリカ政治学界で国家論の復興というムーブメントがあったのですが、そこでいう国家とは国家イコール政府、国家イコール行政府、などと定義されていた、と日本で紹介されることがあります。ここらへんは伝聞のみで原典を確認していないのではっきりしません。いつか確認したら記事にしたいと思います。
現代日本の憲法学で国家はどのように定義されているでしょうか?
司法試験受験生の間で聖典のように扱われている芦部信喜『憲法』は、冒頭で国家の定義を示しています(1997年新版p3)。
一定の領土に限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力をもつ統治権のもとに法的に組織されるようになった社会を国家と呼ぶ。
国家を地域社会の一種とする点、強制力を持つとする点ではラスキなどと一緒ですが、芦部による定義の特徴点は、他の論者が付けている最高や独占や始源といった限定条件が見当たらないことです。芦部による定義では、地方公共団体なども国家ということになってしまいそうで心配です。
芦部本人による定義とは別に、こんな註釈も記載されていかす。
なお、憲法学では、例えば人権を「国家からの自由」という場合のように、国家権力ないし権力の組織体を国家と呼ぶことも多い。
ラスキは国家と政府の区別を政治学の基本定理であるとした(ラスキによる国家の定義参照)けれど、憲法学では国家と政府を区別しないこともあるわけです。
ちなみに、政治学でもラスキの基本定理に反して、国家を政府と同義に扱われることもあります。マルクス主義政治学と、その影響を受けた政治学者に多いようです。これについては別稿にて。
ヴェーバー『職業としての政治』における国家の定義は次の通りです。
国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域という点が特徴なのだか――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である〔p9〕
この国家の定義は世間でよく引用されるのですが、正当、独占、共同体、といった誤解を生じやすい概念が用いられているので注意が必要です。
正当というのは、
正当なものとみなされている、という意味〔p10〕
にすぎません。支配に服従する人が正しいと思えば、第三者からみて怪しくても、それは正当と呼ばれます。ヴェーバーは、支配の正当性の根拠として、お馴染みの伝統・カリスマ・合法の3類型を挙げています。
例えば現代日本の領域内には在日米軍が存在しており、日本国が必ずしも暴力を独占しているわけではないので、ヴェーバーの定義によると日本国は国家ではないことになってしまうかもしれません。
暴力の独占について、ヴェーバーは次のように説明しています。
国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲内でしか、物理的暴力行使の権利が認められないということ、つまり国家が暴力行使への「権利」の唯一の源泉とみなされているということ、これは確かに現代に特有な現象である。〔p9-10〕
在日米軍の存在は日本国が許容しているから、日本国は無事に国家ということになるわけです。ただ、他者の存在を許容することは「独占」とは呼ばないですよね。「独占」というよりも、イェリネクのいうところの「始源的」がぴったりくると思います。イェリネクによる国家の定義はまた別稿で書きます。
『職業としての政治』は共同体について定義していません。『社会学の根本概念』では共同体ではなく団体の語を用いています。詳しくは(2)で書く予定ですが、この団体は被治者を含みます。
ヴェーバーの定義する国家は政治家や官僚の共同体であると思い込んでいる人もいるようですが、それは誤りです。ウェーバーにとっての国家は、あくまで一般民間人を含む国民共同体です。この点はラスキによる国家の定義と同様です。
Laski, H.J., The State in Theory and Practice, 1935
訳書の書誌情報 http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000886391/jpn
国家概念を黙殺する多元主義国家論で有名なラスキが、その多元主義を脱した後に書いた著作です。
これを書いた時期のラスキはマルクス主義に傾倒していたといわれていますが、国家を権力組織とみる所謂マルクス主義国家論とは異なります。ラスキによる国家の定義にも書いたように、ラスキにとって国家とは、支配機構を有する国民社会全体を指しているのですから。
20世紀前半の英米政治学からみた国家論のサーベイとして優れていると思われます。日本でも人気だったラスキの著書なのに、何故もっと注目されないのか不思議です。
20世紀イギリスの政治学者であるラスキは国家をこう定義しました(ラスキ『国家』p6)。
われわれがここで主として問題にしようとする社会は、歴史の久しい時期にわたって、民族国家の形式を帯びた社会である。国家という語で私が意味するのは、かかる種類の社会、つまり、この社会の構成分子たるあらゆる個人又は集団に対して合法的に最高な一個の強制的権威を持つことによって統合された社会である。
ここでいう社会とは、
社会という語を私は、自分たちの相互の欲求の満足のために共に住み働いている人間の一集団の意味に解する。・・
です(同p5)。国家は民間人を含む人間集団であるとしているのであって、そのことは
例えばフランス国家は政府と被治者とに分れたる一個の地域社会
と例示している(同p6)ことから明らかです。
ちなみに政府(government)については、
国家は、自らが自由にしうる最高強制権力を国家の名において運用する一団の人々を必要とする。しかしてこの一団の人々こそ、われわれが国家の政府と称するものである。
と定義してます(p8)。
今や国家と政府とを截然と区別しなければならないことは、政治学の基本定理の一つである。後者は前者の代理者にすぎないのであって、国家の諸目的を遂行するために存在するのである。
と断じています。国家と政府の区別は基本定理です。国家と政府を同一視するマルクス主義国家論とは相容れない立場ですね。
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